Lernu Esperanton! 理論的に作られた国際共通語エスペラントを学びませんか

「英会話不要論」

「英会話不要論」

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という、昨年10月20日発行の本を読みました。目次はこのとおり。

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  • 「まえがき」で筆者は
    異常なほどの英語熱を冷まし、冷静に自分と英語とのつきあい方を選んでください
    と英語の過熱ぶりをおさえており、賛同したくなったのですが、続けて
    努力と忍耐の道の連続する道を歩かなくては、成功はおぼつかないと覚ってください
    と述べています。おやおや。
  • 母語話者の英語が英語の全てでない(171p、ネイティブの理解できない英語)、と述べる一方、
    I like dog. ←それだと「犬の肉」みたいだ(45p)
    You had better go by bus. ←先生に向かって言うのは失礼ですよ(116p)
    Your lecture was quite interesting. ←講演者は一瞬むっと来た(176p)
    quiteという単語は使わない方が無難ですよ。外国人には無理ですから ←(177p)

のような、細かいところまで求めているようです。そして、"表現は母語話者の意見を、できれば複数名の意見を聞いて自分できめよ"、といいます。(124p)

  • 二葉亭四迷はすでに1906年に、
    英語なり独逸語なり、現在の外国語になると、何程手に入つたといつても、書いたものを直ぐ出版するといふことの出来る人は少からう、多くは是非一度英人なり独逸人なりに筆を入れて貰はなければ、安心して出版は出来まい、ところがエスペラントは何国どこの言葉といふのでないから、同じ文法に依つて、同じ言葉を使ひながら、各国皆其スタイルが違ふやうだ、例たとへば英人は英語を、独逸人は独逸語を、仏人は仏語をそれぞれエスペラントに引直して用ゐるから、英人のエスペラントには英語の臭味くさみがあり、仏人は仏語、独逸人は独逸語の臭味がある。だから日本のエスペラントは日本語の臭味があつたとて一向差支さしつかへないと思ふ
    とはえらい違いです。
  • 英語がよく使われていることを(180p)
    オランダでは、英語を話す人が多いのです。昔から貿易などで諸外国と密接な関係を持つ必要に迫られていたので、人口の三分の二が話せます。無論、オランダ語と英語は類似しているということもありましょう。

と書いていますが、筆者はオランダ語をしたことがあるのでしょうか? わたしの知識でもこのようなサンプルを作れます。左は発音、右はつづりです。

dis iz a buk.This is a book.
dit is an buk.Dit is een boek.
diza ist ajn buĥ.Dieser ist ein Buch.

これではできないとういほうが、どうかしています。鹿児島弁と熊本弁くらいの違いでしょうか?

  • エスペラントについては2か所で言及しています。168pの第2部のうちの「 9 国際共通語としての英語とは?」の冒頭でほぼ1ページを費やして述べています。

ここのエスペラントの話は全て過去形で物語っており、偏見に満ちています。まわりから知識だけ得て、自分で学習したことのない人だと分かります。学者のとる方法ではありませんね。

ラテン語を基礎にしている

だとか

今では実用的と見られてはいない

だとか、敵意のこもった見方ばかりしています。しかも

共通語というからには、どの母語を持つ人にも、学ぶ苦労が公平であるべきなのに、この人工語はそうではなかったのです

と続けて、この前半はまとなも意見と思えるのに、「国際共通語としての英語」を主張する筆者は、英語が「どの母語を持つ人にも、学ぶ苦労が公平である」と思っているざまです。「どの母語」には英語母語は含まれていません。

  • もう一か所、174pにも2行の言及があります。
    共通語としての英語を、(中略)あたかもエスペラント語のような人工語にしようという動きがあるようですが
    としたあと、
    英語母語話者と英語非母語話者とが相互に寛容の精神を十分に発揮すれば、よい結果が得られると思うからです

と信じています。英語母語話者にそんな寛容をもとめるなんて、甘いじゃないですか。英語中心主義できた話者にはありえない(非常におこりにくい)状況だと思います。

  • 2013年7月、ロンドンからレイキャビクに飛ぶ飛行機の中で、わたしの隣の席はイギリス人の夫婦でしたが、妻の方はエスペラントに一応の興味を示したのですが、夫の方は「ふん、エスペラントなんて死んだ言葉だ。英語がわかればいいんだ」とはしにも棒にもかからない態度でした。
  • 結局、「まえがき」で述べた「努力と忍耐」が非母語話者には求められ続けるわけです。
  • もう一つ、大切なことは、文学です。漱石や英語研究会の例を詳しく紹介していますが、そのような人たちしか文学は味わえないのでしょうか。
  • マレーシアの空港で書店に立ち寄って、余ったお金でマレー語の本でも求めようか思ったら,ほとんど英書でした。しかも分厚い文学書が棚を埋め尽くして並んでいました。これらを買ってきて楽しみながら読めるのでしょうか?

エスペラントなら、辞典をひきながらちょっとがんばれば読めるでしょう。

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