Lernu Esperanton! 理論的に作られた国際共通語エスペラントを学びませんか

韓国EBSでエスペラントが Esperanto en EBS

韓国EBSでエスペラントが Esperanto en EBS

ebs1-esperanto.jpg

2015年12月23日、

韓国EBSでエスペラントの紹介が放送されました。

EBSは日本でいうとNHK Eテレに相当する
教育放送です。(本体はKBS)

全部韓国語ですが、上の写真をクリックしてお聞きください。
もし要望があれば、翻訳するのにやぶさかではありません。 訳をつけました。

la 23-an de decembro, 2015,

Korea nacia elsendo EBS publikigis la programeron pri Esperanto.
EBS estas la kleriga elsendo, paralele de ĝenerala KBS.
Bonvolu alklaki supran foton por vidi la programeron.

  • グーグルで翻訳 japanigita per Guglo-traduko
    • グーグルで翻訳にかけてみました。
      へんてこりんなところはご勘弁。^^;


      [EBSニュースG]
      「全世界が一つの言語を使用する。」を想像して見た敵
      お持ちですか?最近、国際社会がテロをはじめ、様々な紛争と
      戦争で綴られ、国際公用語であるエスペラントを使用しようという
      動きが大きくなっていますよ。エスペラントは何であり、どのような意味が
      かどうかを確認します。

      [レポート]

      1800年代後半、
      ポーランドの首都ワルシャワで150キロ離れた
      ビャウィストクは新興紡績都市に
      ロシア系。ポーランド系。ユダヤ系。ドイツ系の人々が
      集まっ住んでいたところです。

      当時これらの異なる言語を使用した
      頻繁紛争をギョクゴンたんです。

      ここで生まれ育ったジャメンホープは
      これらの敵意と分裂の原因が
      すぐに他の言語にあると考えており
      いつかはこのような問題を解決すると約束します。

      そして1887年7月、彼は
      世界のすべての人々が一つの言語でコミュニケーションできるように
      政治的に中立的な国際公用語を発表します。

      この人工言語はジャメンホープのペンネームからの引用
      「エスペラント」という名前で呼ばれるようによいです。

      様々なヨーロッパ言語の長所だけを集めて作ったエスペラントは
      文法に例外や不規則がなく語順が変わっても
      関係ないなど、簡単に身につけることができるように設計されました。

      さらに、自国民同士の母国語を書いて
      他の民族同士の共通語を使おうという
      「1民族2言語主義」を提唱し、
      大国の言語が他の国や
      少数民族の言語を破壊しない
      平和的な発想も込めましたが。

      このように、良い趣旨で始まったが、
      エスペラントは誕生から迫害を受けてきました。

      ナチス治下のドイツはジャメンホープがユダヤ人だという理由で
      エスペラントによるユダヤ人の影響力強化を
      懸念している。

      これにより、ホロコーストの期間に
      数多くのエスペラントユーザーが虐殺され
      1935年にはエスペラントが
      法的に禁止されることもしました。

      一方、旧ソ連の最高指導者であったスターリンは、
      直接エスペラントを勉強した程度
      世界語に興味が多かったとそうです。

      1人独裁のために大粛清を行う間、
      心が180度変わった彼
      エスペラントをスパイの言語で指し
      1956年までエスペラントの使用を禁止しました。

      ロシア大文豪トルストイは
      わずか数時間でエスペラントを身につけたという逸話に
      有名です。

      教皇ヨハネ・パウロ2世と
      米国の大富豪ジョージ・ソロスも
      熱心なエスペラントユーザーでした。

      1920年に韓国にも
      朝鮮エスペラント協会が創立されるなど
      有識者から始まったエスペラント運動が
      活発に展開されることもしたんです。

      このように百三十余年の歴史を歩んできたエスペラントは
      現在、全世界の約200万人程度が使用しています。

      過去15日ジャメンホープが生まれた日であり、
      エスペラントの日でした。

      平和の言語と呼ばれるエスペラント語、
      万国公用語が、実現まで行くの長さは遠いが
      世界の平和と人類の幸福が衰退していく
      その意味だけでは振り返る必要がないでしょう?

      線ミンジ文化キャスターmjsun@ebs.co.kr / EBS NEWS

  • belmontoの翻訳(修正済み)
    • 原稿との違いを修正し、実際のアナウンスと一致させました。
      実際のアナウンスは太字で示しました。


      [EBSニュースG]
      「全世界が一つの言語を使用する」。想像してみたことが
      おありですか?可能なことでしょうか?

      最近、国際社会が残酷なテロをはじめ、さまざまな突然紛争と
      戦争につながっていき、国際公用語であるエスペラントを使用しようという
      動きが大きくなっています。このエスペラントとは何か、どんな意味
      あるのかをを持っているのか一緒に調べてみましょう

      [レポート]

      1800年代後半、
      ポーランドの首都ワルシャワから150キロ離れた
      ビアリストクは新興紡績都市として
      ロシア系・ポーランド系・ユダヤ系・ドイツ系の人々が
      集まって住んでいたところです。

      当時かれらは互いに異なる言語を使用していて、
      度重なる紛争を起こしたのです。

      ここで生まれ育ったザメンホフは
      これらの敵対心と分裂の原因が
      主に言語が異なっていることにあると考えて
      いつかはこのような問題を解決してやると誓います。

      そして1887年7月、かれは
      世界のすべての人々が一つの言語で疎通できるように
      政治的に中立である国際公用語を発表します。

      この人工言語はザメンホフのペンネームから来た
      「エスペラント」という名前で呼ばれるようになるのです。

      多様なヨーロッパ言語の長所だけを集めて作ったエスペラントは
      文法に例外や不規則がなく、語順が変わっても
      かまわないなど、簡単に身につけることができるように設計されました。

      さらに、自国民の間では母国語を使い
      他の民族との間では共通語を使おうという
      「1民族2言語主義」をとなえ、
      強大国の言語が他の国や
      少数民族の言語を破壊しないようにという
      平和的な発想もこめたのです。

      このように、良いこころざしから始まったのに、
      エスペラントはその誕生から迫害を受けてきました。

      ナチス治下のドイツはザメンホフがユダヤ人だという理由で
      エスペラントによるユダヤ人の影響力強大化を
      危惧しました。

      このことで、ホロコーストの期間に
      数多くのエスペラント使用者たちが虐殺され
      1935年にはエスペラントが
      法律で禁止されることにもなりました。

      一方、旧ソ連の最高指導者であったスターリンは、
      直接エスペラントを勉強したほど
      世界語にとても興味を持っていたといいます。

      独裁のために大粛清を展開する間に
      かれは180度心変わりし、
      エスペラントをスパイの言語と名指しして
      1956年までエスペラントの使用を禁止しました。

      しかしその後もエスペラントの人気を
      くじくことができなかったのです。

      ロシアの大文豪トルストイは
      わずか数時間でエスペラントを身につけたという逸話で
      有名です。

      教皇ヨハネ・パウロ2世や
      米国の大富豪ジョージ・ソロスも
      熱心なエスペラント使用者でした。

      1920年、わが国でも
      朝鮮エスペラント協会が創立されるなど、
      有識者から始まったエスペラント運動が
      活発に展開されました。

      このように130余年の歴史を歩んできたエスペラントは
      現在、全世界で約200万人ほどが使用しています。

      先日の15日はザメンホフが生まれた日であり、
      エスペラントの日でした。

      平和の言語というエスペラント、
      万国公用語実現に到達する道は遠いですが、
      世界の平和と人類の幸福がだんだん色あせていく最近
      その意味するところは、再考する必要があるのではないでしょうか?

      ソンミンジ文化キャスター mjsun@ebs.co.kr / EBS NEWS

  • Nova Esperante
    • [EBS-novaĵoj G]
      "La tuta mondo uzas unu lingvon."
      Ĉu ĝi estas realigebla afero?
      Hodiaŭ la internacia komunumo spertas terorojn,
      kio ligiĝas al subitaj konfliktoj kaj militoj,
      do dume grandiĝas la ideo uzi Esperaton kiel la internacia komuna lingvo.
      Kio estas la menciita lingvo Esperanto? Ni konsideru iom kune.

      [Raporto]

      En la postaj jaroj de 1800,
      Bjalistoko estis la nova teksila urbo,
      150 km. fora de la pola ĉefurbo Varsovio,
      kun kolektivaj loĝantoj rusa, pola, juda, kaj germana.

      Tiutempe ili uzis malsamajn lingvojn,
      kio ofte kaŭzis konfliktojn.

      Zamenhof, naskiĝinta kaj kreskinta tie,
      suspektis, ke la kaŭzo de malamikeco kaj disiĝo
      ekzistas je la diverseco de lingvoj,
      kaj decidis solvi tian problemon iam.

      En julio, 1887, li publikigis
      la politike neŭtralan internacian komunan lingvon,
      por ke ĉiuj homoj povas komuniki en unu lingvo.

      Tiu artefarita lingvo baldaŭ nomiĝis Esperanto,
      prenita de la plumnomo de Zamenhof.

      Esperanto estis planita por ke oni facile ellernu,
      sen grmatika escepto kaj malregulo, kun libera vortordo,
      kolektinte la avantaĝojn de la diversaj eŭropaj lingvoj.

      Ĝi ankaŭ havis la pacan ideon "2 lingvoj por 1 nacio",
      t.e. ke oni uzu sian nacian lingvon inter samnacianoj,
      kaj ke oni uzu la komunan lingvon por aliaj nacianoj,
      kaj plue, ke potenchava nacilingvo ne detruu lingvojn de
      aliaj landoj kaj etnoj.

      Kvankam ĝi komenciĝis de la bona ideo tiamaniere,
      Esperanto estis persekutata de ĝia naskiĝo.

      Germanio, sub nazia rego, timis la pligrandiĝon de judoj per Esperanto,
      ĉar Zamenhof estis judo.

      Dum la holokaŭsta periodo
      multaj Esperantistoj estis murditaj,
      kaj en 1935
      oni malpermesis ĝin per leĝo.

      Aliflanke, Stalin, la ĉefo de la Sovetio, laŭ onidiro,
      havis egan intereson pri la mondolingvo,
      kiel li mem lernis Esperanton.

      Dum la granda purigo por la diktaturo
      li ŝanĝis sian koron je 180 gradoj,
      kaj juĝis ĝin la lingvo de spionoj,
      kaj malpermesis la uzon de Esperanto ĝis 1956.

      Sed eĉ post tio oni ne povis subpremi
      la entuziasmon al Esperanto.

      La rusa verkisto Tolstoj
      estas fama je la anekdoto, ke
      li lernis Esperanton en nur kelkaj horoj.

      Papo Johano Paŭlo II kaj ankaŭ
      milionulo George Soros de Usono
      estis fervoraj esperantistoj.

      En 1920 ankaŭ en nia lando Koreio,
      Ĉosona Esperanto-Asocio estis fondita;
      la Esperanto-movado komenciĝis inter la intelektuloj
      kaj disvolviĝis aktive.

      Tiel Esperanto jam spertis la historion pli ol 130-jaraj,
      kaj nun ĉirkaŭ 200 milionoj da homoj uzas ĝin tra la mondo.

      La lasta 15a tago estis la naskiĝtago de Zamenhof
      kaj ankaŭ la tago de Esperanto.

      Esperanto, tiel nomata lingvo de paco;
      ankoraŭ etendiĝas longa vojo al realigo de la tutmonda komuna lingvo,
      sed ni devus repripensi ĝian signifon, precipe ĉe la nuna tempo,
      kiam la mondpaco kaj la homara feliĉo ŝajnas laŭgrade forvelki.

      So Minĝi - anoncisto pri kulturo - mjsun@ebs.co.kr / EBS-Novaĵo

  • originala lingvo korea
    • [EBS 뉴스G]
      '전 세계가 하나의 언어를 사용한다.’ 상상해 보신 적
      있으십니까? 최근 국제사회가 테러를 비롯해 갖가지 분쟁과
      전쟁으로 점철되면서 국제 공용어인 에스페란토를 사용하자는
      움직임이 커지고 있는데요. 에스페란토는 무엇이고 어떤 의미가
      있는지 살펴봅니다.

      [리포트]

      1800년대 후반,
      폴란드 수도 바르샤바에서 150킬로미터 떨어진
      비아위스토크는 신흥 방직업 도시로
      러시아계․폴란드계․유대계․독일계 사람들이
      모여 살던 곳입니다.

      당시 이들은 서로 다른 언어를 사용했고
      잦은 분쟁을 겪곤 했는데요.

      이곳에서 태어나고 자란 자멘호프는
      이러한 적대감과 분열의 원인이
      바로 다른 언어에 있다고 생각했고
      언젠가는 이런 문제를 해결하겠다고 다짐합니다.

      그리고 1887년 7월 그는
      세상 모든 사람들이 하나의 언어로 소통할 수 있도록
      정치적으로 중립적인 국제 공용어를 발표합니다.

      이 인공 언어는 자멘호프의 필명에서 따온
      ‘에스페란토’라는 이름으로 불리게 되죠.

      다양한 유럽언어의 장점만을 모아 만든 에스페란토는
      문법에 예외나 불규칙이 없고 어순이 바뀌어도
      상관없는 등 쉽게 익힐 수 있도록 설계됐습니다.

      게다가 자국민끼리는 모국어를 쓰고
      다른 민족끼리는 공통어를 쓰자는
      ‘1 민족 2 언어주의’를 주창하며
      강대국의 언어가 다른 나라나
      소수 민족의 언어를 파괴하지 않는다는
      평화적 발상도 담았는데요.

      이처럼 좋은 취지로 시작됐지만
      에스페란토는 탄생부터 박해를 받아왔습니다.

      나치 치하의 독일은 자멘호프가 유대인이라는 이유로
      에스페란토로 인한 유대인의 영향력 강화를
      우려했습니다.

      이에 따라 홀로코스트 기간에
      수많은 에스페란토 사용자들이 학살됐고
      1935년에는 에스페란토가
      법적으로 금지되기도 했습니다.

      반면 구소련의 최고지도자였던 스탈린은
      직접 에스페란토를 공부했을 정도로
      세계어에 관심이 많았다고 하는데요.

      1인 독재를 위해 대숙청을 벌이는 동안
      마음이 180도로 바뀐 그는
      에스페란토를 스파이의 언어로 지칭하며
      1956년까지도 에스페란토 사용을 금지했습니다.

      러시아 대문호 톨스토이는
      단 몇 시간 만에 에스페란토를 익혔다는 일화로
      유명합니다.

      교황 요한 바오로 2세와
      미국의 백만장자 조지 소로스도
      열렬한 에스페란토 사용자였습니다.

      1920년 우리나라에도
      조선에스페란토 협회가 창립되는 등
      지식인들로부터 시작된 에스페란토 운동이
      활발하게 전개되기도 했는데요.

      이렇게 백 삼십여 년의 역사를 걸어온 에스페란토는
      현재 전 세계 약 200만 명 정도가 사용하고 있습니다.

      지난 15일은 자멘호프가 태어난 날이자
      에스페란토의 날이었습니다.

      평화의 언어라는 에스페란토,
      만국 공용어 실현까지는 갈 길이 멀지만
      세계 평화와 인류의 행복이 퇴색되어가는
      그 의미만은 되새겨볼 필요가 있지 않을까요?

      선민지 문화캐스터 mjsun@ebs.co.kr / EBS NEWS

a:4582 t:1 y:0

コメント

  • 日~韓グーグル翻訳

    なぜ、こんなに訳文が変てこなのか?翻訳技術のt詳細は公開されてないので推測するしかないですが、たぶん、グーグルでは[韓→英→日]、という迂回路を通っているからではないかな。
    構文のいちじるしく異なる言語フィルターを2回も通過すると、こんなことになる。英語の「中間言語」としての性能は、あまりよくない。(SVO硬直性が高いから。エスペラントなら、マシになるはずだろうが)




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