Lernu Esperanton! 理論的に作られた国際共通語エスペラントを学びませんか

国連の重要フォーラムにバベルの障壁(訳)

国連の重要フォーラムにバベルの障壁(訳)

国連の重要フォーラムにバベルの障壁

アナ・リベイロ

わたしは、世界エスペラント青年機構渉外委員会(TEJO-KER)の一員として、2015年10月13~16日にイタリアのトリノで開催された国連開発プログラム(UNDP)に招かれた。

トリノの王宮の中で、プログラムはいくつか部屋のある2つの異なった場所で開催された。1つは、パンギムン国連事務総長のような権威ある人たちのもので、その他は若い活動家のためのものであった。わたしはこれらの部屋で、若者の雇用に関する討論会に参加し、それぞれ言語の障害、エスペラントと青年機構について講演した。

わたしは自分の母語のポルトガル語で話すことができず、すらすらと話せるエスペラントでも話すことができなかった。それでわたしは国連の6つの公用語のひとつである英語を使った。エジプトからきた女性はアラビア語を選び、マケドニアからの代議員はフランス語で話した。言語の障害が強く感じられた。わたしの会議場にはロシア語と中国語への通訳がいなかったし、ほかの部屋ではスペイン語への通訳もいなかった。メイン会場だけで国連のすべての公用語への通訳が行われた。

この行事は地域経済発展をテーマにしていたにもかかわらず、地域の一般大衆には閉ざされていたのである。たいへん華やかで、入場許可証が求められたのだが、王宮前には巨大スクリーンが据えられ、地域の人たちが見ることができるようになっていた。

言語障害の結果

この行事はビラや広告パネル、テレビなどで大いに宣伝されたにもかかわらず、権威あるひとたちの講演を見にあらわれた人はだれもいなかった。使用言語がその主な障害だったとわたしは見る。講演は主に英語で行われた。その都市についてわたしが調べたところによると、現地の住民のうち、ほんのわずかの人だけが英語を話せる。その話せる人でも、経済や政治についての話をよく理解できなかった、ということなのだ。

まとめてみると、言語こそが人々を2つのグループに分ける最も重大な障壁であった。1つは、曲がりなりにも得るところがあった人たち、もう1つは、王宮の中であれ外であれ、そんなに重要なフォーラムに参加するチャンスから、なんの利益も得られなかった人たちである。

a:3127 t:1 y:1

コメント



認証コード7435

コメントは管理者の承認後に表示されます。

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional