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本日のレッスン「物語韓国史」第23回 金庾信と階伯

本日のレッスン「物語韓国史」第23回 金庾信と階伯

  • 百済 9回目

達率常永(チャンヨン)らの意見は佐平義直(ウイジク)と正反対であった。
 「唐は勢いに乗じて攻撃してくる。新羅は我が国に何度も負け戦をしているので士気がすぐくじける」

義慈(ウイジャ)王は決めかねて、幽閉していた興首(フンス)に尋ねた。
 「挟み撃ちになるので平原で戦ってはいけない。白江(ペッカン)に入らせず、炭峴(タンヒョン)を超えさせないのが肝要だ」
しかしこの意見は大臣たちに一蹴される。

660年7月、黄山(ファンサン)の野で、5万の兵を率いる新羅の金庾信(キムユシン)と、百済の階伯(ケベク)率いる5千の決死隊が激突する。(ファンサンボルの戦い)

新羅の16歳の少年官昌(クァンチャン)は、父の命により敵陣に突っ込むが捕らえられる。あまりに若いのを見た階伯は送り返した。しかし花郎としての面目がたたず、官昌は再び戦いに出てまた捕らえられた。今度は首を切られて送り返された。

これを見た新羅軍は非常に憤って猛攻に転じ、百済の決死隊は全滅してしまった。

レッスン一覧

  • 2 高句麗
    • 04 始祖東明聖王
      05
      06 黄鳥歌の由来
      07 楽浪姫と良童王子
      08 乙女とイノシシ
      09
      10
      11 仏教の伝来
      12 隋との戦争
      13 安市城主 楊万春
      14 高句麗の最期

  • 1 我が国の起源
    • 1 檀君朝鮮の建国, 箕子東来説
      2 恒因の侵入と衛満朝鮮
      3 武帝による漢四郡設置

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