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福信,道琛,倭軍,扶余豊 本日の韓国語レッスン

福信,道琛,倭軍,扶余豊 本日の韓国語レッスン

唐の将軍劉仁軌は融和策を講じようと使者を送るが、福信(百済)と一緒に戦っていた僧道琛は
「位が低いものを送ってくるとはけしからん」
と受け入れなかった。

劉仁軌の軍と劉仁願の軍は合同し、新羅王は金欽将軍を援軍に向かわせるが、福信に敗れてしまった。

福信は道琛を殺害し(理由は書いてない)、籠城状態の劉仁願らに
「お帰りの節はお見送りいたします」
と愚弄する文を送る。百済王扶余豊は彼を統制することができなかった。

翌年になると劉仁軌・劉仁願の軍が百済軍を破った。福信と扶余豊の間には疑心暗鬼が生じ、ついに扶余豊は福信をだましうちにして殺した(*10丁ウ青)

百済は高麗と倭に援軍を求めたが(*10丁ウ赤)、新たにくわわった唐将軍孫仁帥が中途でこれを撃破する(*10丁ウ緑)
  (*原本赤 『日本書紀』天智天皇2年3月条では、2万7千の日本軍が新羅を討伐したと記す。なお、『三国史記』高句麗本紀によると、淵蓋蘇文が唐の蘇定方と戦っていた時期である。百済からの援軍要請に関する記録は一切ない)

ついに、唐の劉仁願・劉仁軌・杜奭(*11丁オ緑)・孫仁帥・新羅王金法敏らが、水陸から百済総攻撃を始めた。
  (*原本緑 このテキストには書いてないが、先に降伏して唐の位を授けられた、義慈王の次男扶余隆が攻撃に加わっている。自国の不名誉となる事項は書かないつもりか?)

白江で激しい戦いが起こり、その火は天と海を焼いて真っ赤にした(*11丁オ赤)。敗れた扶余豊は高句麗に逃げ(*11丁オ青)、遅受信が抵抗をつづけたがやがて高句麗に逃亡し、黒歯常之・沙咜相如らは抵抗の末降伏した。
  (*原本赤 原本では倭の軍艦400隻との戦いであったことが書かれているのに、テキストは全く言及しない。細かいところまで三国史記に依存しているこの著者なので、うっかり洩らしたとは考えにくい。意図的に記載事実を捻じ曲げようとしたのである)
  (*原本青 写本ではこのあと、王子たちは捕まり、民衆と倭人はみな降伏した、と書く。『日本書紀』天智天皇2年9月条では、佐平余自信ら百済王族・貴族が日本軍とともに日本に向かったことを記す)

追加資料 日本書紀第27巻

2015-11-07 追加

兵5千をつけて百済王子豊璋を帰国させた。佐平福信らが迎えに出た。
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軍艦170隻で豊璋を百済に送った。
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 「日本から1万人の援軍が来る。われら白村でこれを歓迎しよう」
 白村に戦列を整えた唐の戦艦170隻は日本軍と対峙し、初戦で日本に勝つ。
 それでも百済と日本は(おそらく400隻という数を頼りにして驕り)押しまくる作戦に出ようとした。しかし、唐軍の挟撃にあって身動きできなくなり、あっというまに壊滅してしまう。水死するものが多かった。切歯扼腕して数十人を殺した武将もいたが戦死してしまった。
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日本軍と、弖礼城に結集していた佐平余自信などの貴族や多くの民衆が日本に向けて出航した。
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レッスン一覧

  • 2 高句麗
    • 04 始祖東明聖王
      05
      06 黄鳥歌の由来
      07 楽浪姫と良童王子
      08 乙女とイノシシ
      09
      10
      11 仏教の伝来
      12 隋との戦争
      13 安市城主 楊万春
      14 高句麗の最期

  • 1 我が国の起源
    • 1 檀君朝鮮の建国, 箕子東来説
      2 恒因の侵入と衛満朝鮮
      3 武帝による漢四郡設置

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