Lernu Esperanton! 理論的に作られた国際共通語エスペラントを学びませんか

kariero

kariero de belmonto

  • 資格
    KER C1(総合) ※総合 = 筆記+会話
    • KER(ケル)とはCEFR(ヨーロッパ共通言語参照枠)のことです。
    • C1とは、英語でいうと、TOEIC 930・TOEFL(iBT) 110・英検1級相当です(サイトによって数値が若干異なります)。しかもTOEICには会話がありません。
    • 2013年、アイスランドでの世界エスペラント大会で受験しました。

  • これから
    2018年
     10/11 日韓共同開催エスペラント大会(奈良)
     07  世界エスペラント大会(リスボン)
     06-17 jei理事会・協議員会
     05-20 jei理事会
     03-25 jei理事会
     01-21 jei業務執行理事会・協議員会
    2017年
     11-03/05 日本エスペラント大会(神奈川県立かながわ労働プラザ)
     10-21/22 韓国エスペラント大会(南山ユースホステル)
     09-23/24 九州エスペラント大会(長崎)
     09-10 jei業務執行理事会
     07-29/08-05 SAT大会(キンポ)
     07-22/29 世界エスペラント大会(ソウル・韓国外国語大学)
     07-15/22 ILEI大会(釜山・海雲台)
  • 2017年
    • 07 La Movadoに対訳「わたしはかうして死んだ!」平林初之輔 (6)6-7p.
    • 06-13 源氏物語第20帖「朝顔」翻訳完了
    • 06 La Movadoに対訳「わたしはかうして死んだ!」平林初之輔 (5)6-7p.
    • 05-21 jei理事会・協議員会
    • 05-16 源氏物語第19帖「薄雲」翻訳完了
    • 05 La Movadoに対訳「わたしはかうして死んだ!」平林初之輔 (4)6-7p.
    • 04-14 ĈRIのLegado-Konkurso(ザメンホフ年)のInstruistoj(7人)の一人に
       構成 : 中(3),ブラジル(1),米(1),スロバキア(1),日(1)
       【esperanta versio】【漢語版(汉语)】 
    • 04-07 aŭdokurso 2 開始(週2回、韓国の6名の中級者対象)
    • 04-01 SEK講座300回記念式(ソウル),パネリスト 03-31/04-04在韓
    • 04 La Movadoに対訳「わたしはかうして死んだ!」平林初之輔 (3)6-7p.
    • 03-26 jei理事会・日韓共同大会準備委員会
    • 03-21 源氏物語第18帖「松風」翻訳完了
    • 03 La Revuo Orienta「エスペラント」誌に「カカオトークを利用した"毎日エスペラント"~韓国エスペラント学習事情」掲載 6-7p.
    • 03 La Movadoに対訳「わたしはかうして死んだ!」平林初之輔 (2)6-7p.
    • 02-23 源氏物語第17帖「絵合」翻訳完了
    • 02-17 副理事長会
    • 02-06 源氏物語第15帖「蓬生」翻訳完了
    • 02 La Movadoに対訳Mi mortis tiamaniere! 平林初之輔「わたしはかうして死んだ!」連載開始 6-7p. ~sept.(8回)
    • 01-27 源氏物語第14帖「澪標」翻訳完了
    • 01-22 jei業務執行理事会・協議員会
    • 01-21 NPO「エスペラントよこはま」で講演「はじまりはインターネット」
       刊行した「さっさとエスペラント/源氏物語」、およびエス会サイトについて
    • 01-18 対訳「el Rakontaro Genĝi 源氏物語」発行(特価\700)。
      第5帖花宴/第11帖花散里/第16帖関屋/第27帖篝火/第30帖藤袴
      5.Florfestenoj, 11.Falanta Floro, 16.La Kontrolejo, 27.La Torĉo, 30.La Eŭpatorio
    • 01 La Movadoの対訳Uraŝima Taraŭ「浦島太郎」連載終了(6回)
  • 2016年
  • 2015年
    • 10 エスペラント文芸コンクールで翻訳部門2位に入りました。
       井原西鶴「大晦日は合はぬ算用」Miskalkulo ĉe la Jarfino
    • 10-03/04 韓国エスペラント大会(ソウル・韓国外国語大学)
       JEI会長あいさつ代読、K氏受賞代理受賞
    • 08 Esperanto-Centro(OraPonto)のレベルアップ講座講師(中国・甘粛省Jinchuan)の予定が病気で中止。
    • 06 ネットによる「読解講座」「聴き取り講座」を開始しました。
    • 04-17 Lucerno 11(ilei-jp)に寄稿「ISOA4 はこうしておこなわれた」
    • 01現在 ネットレッスン、鹿児島エス会、ブログの文学「毎日1ページ」更新と、おしゃべり「毎日ばびーる」に傾注。個人では原書購読。
    • 01 日本エスペラント協会協議員(任期2年)、2期目。
  • 2014年
    • 10 韓国エスペラント大会参加(ソウル)。その後、大学1コマ、小学校3コマの授業に出ました。
    • 10 エスペラント文芸コンクールで翻訳部門3位に入りました。
       飯田蛇笏「秋風」Aŭtuna Vento
    • 10 第4回ISOA参加(京都、亀岡)。準備委員として作業をし、参加しました。
    • 09 日本エスペラント協会『ドリル式エスペラント入門』に文字動画をつけ、ユーチューブに公開しました。
    • 08 エスペラントのネットレッスンを開始しました(無料)。
    • 05 文学サロン「月の舟」講座に人が集まらず、エスペラント講座はここで停止しました。
    • 03 ilei-jp(国際エスペラント教育者連盟日本支部)のホームページを作成。
    • 02 藤巻謙一『エスペラント中級独習』第5課本文の変更(宇宙爆発)のため、音声収録をやり直しました。(4月発行)
  • 2013年
    • 12 藤巻謙一『エスペラント中級独習』の第5課(海の生物)を音声を収録しました。
    • 11-13 Lucerno 8(ilei-jp)にISOA3の原稿を寄稿「Lernolibro kaj Kurso」
    • 10 韓国エスペラント大会(インチョン)でパネリスト3人中の1人となりました。内容は「生涯教育」。その後、インチョン市内の女子校で授業3時間、小学校の授業、3大学の授業に3コマ参加しました。
    • 10 第100回日本エスペラント大会(東京で)に参加。このとき発行された"Japana Literatura Juvelaro"(「日本文学エスペラント作品集」)に翻訳詩2編が掲載されました。
       島崎藤村「小詩」poemeto・八木重吉「素朴な琴」naiva harpo
    • 09 「La Revuo Orienta エスペラント」(日本エスペラント協会)9月号に「ちょこっと上の交流広場」が掲載されました。
    • 07 世界大会に参加(アイスランド、レイキャビク)。ヨーロッパに初めて行きました。イジュンキと同室。このときKER試験C1総合(筆記+会話)合格! KER(ケル)とはCEFR(セファール、ヨーロッパ共通言語参照枠)のエスペラントでの呼び方です。これでTOEICの930点代、英検1級レベルに達しました。 [smile]
    • 06 鹿児島エスペラント会(KES)を7人のメンバーで設立。
    • 05 九州エスペラント大会(佐賀)
    • 04 帰路、壇国大学・キョンヒ大学の講義に出ました。
    • 04 第1回インドネシア・エスペラント大会に参加(ボゴール)
    • 04 「La Revuo Orienta エスペラント」(日本エスペラント協会)の4月号~翌年3月まで「ちょこっと上のエスペラント再入門」を連載しました(11回)。
    • 03 韓国ウイワン市のオントゥッ学校(初等課程)にネット経由でエスペラントを教えました(1年)。現地にも何度か訪問しました。
    • 01 第3回ISOA(ILEI東アジアセミナー)にて講演(韓国、イクサン)
    • 01 日本エスペラント協会協議員(任期2年)になりました。新制度のもとの初めての協議員です。
  • 2012年
    • 12 来年の第100回日本エスペラント大会のホームページ作成を依頼されました。大会終了までメンテをおこないました。
    • 07 世界エスペラント大会に参加(ベトナム、ハノイ)
    • 05 九州エスペラント大会(福岡)にて講演「ここ10年の動き」
    • 05 文学サロン「月の舟」(鹿児島市天文館)でエスペラントの講座を開講
  • 2011年
    • 10 日韓共同エスペラント大会にて日本側代表として記念講演(韓国、ソンナム)。韓国側はマ・ヨンテ。
    • 08 第1回ISOA(ILEI東アジアセミナー)に初参加、講演「Podkasto放送を始めよう」(天津)
    • 05 九州エス大会参加(福岡、福津)。分科会「Podkastoの始め方」開催。
    • 01 ポッドキャスト放送2局を開局。このためにミキサーやマイクを購入しました。全エスペラントのRadio Ĉerizoは18回、Radio Ĉerizo Eduka(さくら教育放送)は32回放送し、1年間つづきました。やめるつもりはなくまた作ろうと思ううち、日が経ってしまいました。コンテンツはこのサイト内で聴けます。
  • 2010年
    • 10 日本エスペラント大会初参加(長崎)
    • 08 "hej nubo"(初稿)
    • 06 アジア・エスペラント大会初参加(モンゴル、ウランバートル)
    • 05 九州エスペラント大会参加(北九州)
  • 2009年
    • 10 韓国エスペラント大会初参加(ソウル)。
  • 2008年
    • 05 九州エスペラント大会初参加(熊本)。
  • 1996年
    • 04 転勤先の鹿児島東高校で必修「エスペラント」クラブ。2年間。
  • 1994年
    • 07 ソウルでの第79回世界大会(universala kongreso)に中1の娘を連れて初参加しました。その後、文通相手のいるテグに高速バスで向かったのですが、雷雨やら事故により大渋滞。着いたのは日が変わるころで、とうとう会えず。次にナメ(南海)の海水浴場に向かうと、その夜台風が大接近。通過した翌日悔しいのでサンジュ海水浴場に行ったら、同じ思いの韓国人が高波に向かって飛び込んでいました。当時のビザなし15日ギリギリで帰国しました。ハア。
  • 1970年
    • 12 鹿児島大学エスペラント研究会を設立し、以降、市民講座など展開。それまでのオーケストラから脱退するとき、連日の引き止め攻勢にあいました。以後、初任校のころまでビオラで友情出演していました。ドボルザーク交響曲8番いいねぇ。チャイコフスキーのイタリア奇想曲は凄まじすぎる。モーツァルトのホルン協奏曲はつまらん。バッハのブランデンブルグ協奏曲3番、ゾクゾクするーー。
  • 1964年
    • 09 エスペラントを学び始めました。大島義夫『エスペラント4週間』(大学書林)
  • 免許
    • 高校教員免許 外国語1級(韓国語)
  • 資格
    • 韓国語能力試験 5級(高級)
      • 15年ぐらい前でしょうか。まだ鹿児島に受験会場がなかっため、何度も福岡に宿を取り、けっこうお金を使いました。あと数点足りず、6級(これが最高級)に達しませんでした。
    • ハングル能力検定試験 準2級
      • これも同じころ。2級を受けたい人が他になくて、「監督代を負担してくれたら実施」と言われ断念し、それ以降は受けていません。 [sad]

  • 1970年
    • 03 朝鮮語を学び始めました。青山秀夫『朝鮮語四週間』(大学書林)
    • 文通を始めました。相手は現在テグ大学文学部長(まだ在任なら)。
  • 1985年
    • 10 文通相手を訪ねようと韓国初訪問(プサン・テグ・キョンジュ)。
  • 1993年
    • 08 文通相手を訪ね、娘2人(中1・小6)を連れて韓国訪問(ソウル・テグ)。
  • 1994年
    • 07 ソウルでの第79回世界大会(universala kongreso)に中1の娘を連れて初参加しました。→福岡→プサン→ソウル→テグ→ナメ(南海)→プサン→福岡、で帰国しました。
  • 1994~6年
    • 大口市(現、伊佐市)の「南海郡と交流を進める会」顧問にされちゃいました。それまで福岡の業者に翻訳やハングル書きを依頼していたのでした。
    • このころ、鹿児島市で月1度平日の夜行われていた「韓国語おしゃべり会」に、片道1時間以上かけておりおり参加していました。相手は国際交流員でした。
    • このころ、鹿児島混声合唱団のコンサートに1回だけチャランゴ奏者として出演し「コンドルは飛んで行く」を演奏しました。練習に鹿児島市のザビエル教会に行って音をあわせたら、もらった譜面とは進行が変更になっており、とても困りました。当日は重いポンチョを着せてもらって演奏しました。
  • 1997年
    • 始まったばかりのCS放送で韓国系の2チャンネルを契約、視聴。このころ字幕番組はほぼ0でした。やはり動画と音声があると効果的で、なんとなく意味がとれてきます。これをずっと続けることでに聞き取り力がついたようです。当時のKNTVは今も続いていますが、数年前契約解除。現在はKBS Worldを契約しています。
  • 1998年
    • 01 韓国に姉妹校を、という意向のもと、ネットで見つけた韓国の学校にメールを送りました。3通の応答があり、そのうちの金海伽耶(キメカヤ)高校とメールのやりとりが始まりました。
    • 04 鹿児島県立鹿児島東高校で教科として2年生(2単位)・3年生(3単位)に選択必修で「韓国語会話」が導入され、韓国語を教え始めました。ネイティブのキムウルスさんと授業をしました。転勤するまで7年間携わります。
    • 04 同校で「韓国語クラブ」。
    • 08 3年生のえり・+、2年生のYようこを引率してキメカヤ高校を初訪問。
    • 10 姉妹校盟約を結びました。その交換書類とか全部書きました。その後日韓関係がこじれたときも「自分たちで作りあげた関係じゃないか」と訴え続け、休みなく交流は続けられ、現在にいたっているようです。
    • 10 「ハングル能力検定試験」会場を初めて鹿児島に設けました。当時は宮崎県からも受験生が何人もきました。「韓流」が起きる5年前です。
  • 1999年
    • 07 「高等学校韓国朝鮮語教育ネットワーク」の設立に立ち会いました。
    • 08 3年生のNようこを連れてソウルのカナタ韓国語学院に1週間、そののちキメカヤ高校を訪問しました。じゅんぺいが高麗大学に短期留学をしました。
  • 2000年
    • 同上、南日本ブロックの代表になりました。
    • 03 初年度3年生で教えたえりが1年間の高麗大学・西江大学での語学留学のあと、高麗大学に入学しました。
    • 04 1年生でも「韓国語会話」(2単位)が始まりました。1〜3年まで全部とれば7単位が学べることに。ネイティブはキムミヨンさんに変わりました。
    • 05 3年生のゆき・まなを引率してキメカヤ高校を公式訪問しました。
    • 12 プサンの日本語学校で韓国語研修に。
  • 2001年
    • 01 プサンで21世紀を迎えました。テレビで日本の日の出をみましたよ。通った日本語学校の韓国語研修に集まってきたのは、「第二の人生だ」「第三の人生だ」という数名で、日本語で喋り散らかすものだからいやでたまりませんでした。途中から自分で延世大学の6級テキストを選んでそれで学びました。
    • 04 ネイティブはハンジョソンさんに変わりました。
    • 10 ネイティブがチェスンジュさんに変わりました。
    • 10 女生徒2人を引率してキメの高校を公式訪問しました。
    • 12 韓国教育振興院のプログラムで生徒3人(3年生ゆみか、2年生ともや、1年生かな)をソウルに引率しました。イチョンでの陶器づくり体験もしました。
  • 3年生のMようこの体験記がハングル能力検定試験の問題集に掲載されました。
  • 2002年
    • 03 じゅんぺいが高麗大学に長期留学。
    • 03 「話してみよう韓国語」第2回関東大会(東京)に生徒を3人引率し、入賞しました。
    • 05 3年生のあけみ・よしの、2年生のまいこがキメカヤ高校を公式訪問しました。
  • 2003年
    • 03 「話してみよう韓国語」第1回東日本大会(東京)に生徒を5人引率しました。3年生のともや・あけみ・よしのが最優秀賞、2年生のまいこ・かなが努力賞(最優秀の次はこれだったので実質「優秀賞」です)、あけみが審査員特別賞を受賞しました。
    • 04 ゆうこ教諭が1年生の授業を担当(1年間)。
    • 05 3年生のたかこ・のりこ、2年生のみかがキメカヤ高校を公式訪問しました。
    • 07 ソウル大学で研修。
    • 08 2年生のゆかがテグのボランティア大会に参加しました。
    • 10 高等学校韓国朝鮮語教育ネットワーク 全国研修会が鹿児島で行われました。報道関係も取材に来て「韓流はついに学校現場まで及び…」なんて放送していました。てやんでえ、こっちはそのずっと前からやってたんだ、「朝鮮語なんかして何になるの」としょっちゅう言われながらよぉ。
  • 2004年
    • 01 鹿児島モイムが成立。その主催で、「第3回鹿児島県韓国語スピーチコンテスト」を実施しました。このため東京へは行かなくなりました。それまでの2回は国際交流員の主催、2006年からは鹿児島モイム主催の「話してみよう韓国語 鹿児島大会」となります。
    • 03「話してみよう韓国語」第2回関東大会(東京)に2年生のゆか、1年生のしょうこ・ゆいを引率しました。ゆかが入賞。
    • 03 鹿児島スピーチ大会にたくさん参加し、ゆかりが朗読部門で賞をもらいました。
    • 04 文部科学省の「外国語教育推進指定」を、あと開陽高校とともに受け、「冬ソナ」を教材化しました。朝日新聞が大きく取り上げてくれました。
    • 04 朝鮮族帰国生徒のミョングム(ミンチン)が在籍したおかげで、パンマル使いがうまくなりました。
    • 04 たかこが福岡大学の韓国語関係に進学しました。
    • 05 女生徒6人(3年生みかこ・+、2年生ひろみ・あやか、1年生みさき・ちえ)を引率して、ソウルに行った後、キメカヤ高校を公式訪問しました。
    • ゆみかがワーキングホリデイで韓国へ。ソガン大学で学習。
  • 2005年
    • 03 ソウル大学に1年間語学留学していたまいこが、ソウル大学に学部生として入学しました。
    • 03「話してみよう韓国語」第3回関東大会(東京)に2年生のしょうこ・ゆきを引率しました。
    • 04 「韓国語理解」(2単位)が3年生に導入されました。全部教科をとると9単位学べることになりました。しかしわたしはこのとき転勤となり、後任に託すことになりました。
    • 05 3年生のしょうこ・ゆいがキメカヤ高校を公式訪問したそうです。
  • 2006年
    • 07 韓国語初級講座(開陽高校会場)の一日講師を務めました。
    • 09鹿児島県立鹿児島水産高校で2学期の「国際交流」の時間に韓国語を教えました。(男子10人ほど)
  • 2008年
    • 03 「高校生1万人署名運動」で渡韓する生徒たちに教えました。4人+α、市来農芸高校・鶴丸高校生、5回全13時間。かつての教え子たち3人(ひろみ・ともや・しょうこ)が手伝ってくれました。
  • 2009年
    • 10 国立国語院+ハングル学会の招請事業で研修に参加しました(ソウル)。途中の「ハングルの日」には政府発行の許可をもらい、式典に参加しました。閉校式では外国人代表として挨拶をしました。
  • 2010
    • 06アジアエスペラント大会でウランバートルに行きましたが、前年の研修で知りあった大学教員のガンツェツェク・ラグヴァドルジュさんやプレヴ・バーサンジャルガルさんなどと再会しました。ウランバートル大学のヨビョンム教授とも会いました。
  • 2012年
    • 04 鹿児島県立鹿児島東高校非常勤講師 1年(韓国語で)。2005年に引き継いだ後任が転勤したためです。
    • 07 ベトナム・ハノイでの世界エスペラント大会に行き、2009年の研修で一緒だった大学教員グエン・フオンさんに再開しました。第2子を妊娠中でソウルで学ぶ予定ができなくなったことを残念がっていました。日本語科の学生たちが案内してくれました。タン・ティ・トゥ・ヒエン嬢は今ソウルとのことで会えず。
  • 2012~4年
    • 文学サロン「月の舟」(鹿児島市天文館)で、いろいろな韓国語講座を開催しました。
  • 2013年
    • 04 第1回インドネシアエスペラント大会(ジャワ島ボゴル市)に参加するついでに、2009年の研修で一緒だったムハンマド・シャハルン・シャムに氏に会えないかと思ってやりとりしてみると、彼はスラウェシ島ウジュン・パンダンの大学で教鞭をとっており、あまりにも遠いので行くのを断念。
  • 2014年
    • 11 文学サロン「月の舟」の講座をやめ、内容はそのままでネットレッスンに移しました。ソフトはスカイプを使用。
  • 2015年
    • ネットレッスン「物語韓国史」を中断。講座は「小説明成皇后」一つにしぼりました。
    • 04 ネットレッスンはハングアウトですることに変更。
  • 2016年
    • 01 ネットレッスン「小説明成皇后」継続中
    • 10-25 ハングアウトの仕様変更によりスカイプに変更。以前より格段に品質が良くなっています。
  • 資格
    • 実用英語検定 2級
      • 35年ほど前の話。勤務2校目のことでした。
    • 全商英語検定 1級
      • 勤務3校目でのこと。

  • 中1
    • 04 英語必修で習わされました。あとずっと、大学2年の教養まで。
  • 中3
    • 英検3級合格。
      まあ、好きな科目でしたよ。エスペラントで学んだ単語がかなりでてきたし。
  • 高校
    • あるとき担任に呼ばれたのでドキドキしながら職員室にいくと「どんな勉強をしたんだ?」とのこと。なんとその実力テストの英語の成績がずぬけて学年トップだったのだそうな。一回だけですけどね。
    • 今かんがえると、中学では「英」語、高校では米語でした。高校に入って頭のなかが何やら混乱していたのを覚えていたます。その時はその理由がわかりませんでした。
    • 高校時代、ある宣教師から「あなたは米語をしゃべってるね」といわれましたが、何でそうなのか、理解できませんでした。
  • 大学
    • 英語教員の免許もとろうかと思いましたが、必須教科が同じ時間にぶつかっていたため、断念しました。
    • かわりに「弦楽器奏法」(バイオリン)を秀を取りました。まさか教授陣数名が見ている中で独奏するなんて思いもよらず、心臓が跳び上がり、一部暗譜したものが飛んでいってしまったのでした。「和声楽」はピアノができず、まもなく断念。 [sad]
  • 1998
    • 10 勤務高校の語学研修旅行で、米国ロサンジェルス郊外Moleno Valleyホースステイ研修に約80人を引率。初めてアメリカに行きました。4泊6日。
  • 2002
    • 01 上記と同じ時期、同じ計画でアメリカに引率する予定が、直前のアメリカ・テロで中止になり、代わりに翌年、神田外語大学の施設というBritish Hills(福島県)に約80人を引率。2泊3日。このとき氷上で転倒して頭を強打。(それで変になったとか、頭がよくなったとかいった説も [smile])
  • 2004
    • 11 語学研修旅行で、Moleno Valleyへホースステイ研修に約80人を引率。4泊6日。米国はこの2回きりです。引率した生徒たちは卒業後ポンポン行っているようですが。
  • 免許
    国語教員免許(高校1級・中学1級)
     これを生涯めしのたねとしました。 [smile] 中途で「韓国語」の免許をとりました。
  • 日本語教育能力検定試験受験(福岡市)。合格に10%ほど届かず。 [sad]
    試験場のロビーで「わたしもう〜回受験したけどだめだった」などと勉強しながら話している日本語学校の若い女性たちの声が聞こえてきました。さては、わずか数か月ほどの勉強で受験したのは無謀だったか。日本語の資格なのに、なんでこんなに多量のカタカナの専門用語を覚えなくてはならないか、疑問になってきました。

  • 母語は大牟田弁100%。共通語100%。鹿児島弁90%。九州弁あらかた
    神田外語大学の浜之上幸先生と同じとこ生まれ
  • 1970.04 鹿児島大学教育学部中学校教員養成課程国語科入学
  • 1974.04 国分市立国分実業高校教諭(現 国分中央高校) 4年
  • 1978.04 鹿児島県立喜界高校教諭 4年
  • 1982.04 鹿児島県立阿久根高校教諭(現 鶴翔高等学校) 7年
  • 1989.04 鹿児島県立伊佐農林高校教諭 7年
  • 1996.04 鹿児島県立鹿児島東高校教諭 9年
  • 2005.04 鹿児島県立鹿児島水産高校教諭 6年
  • 2011.03 退職。教職 37年
  • 2012.04 鹿児島県立鹿児島東高校非常勤講師 1年(韓国語で)
  • 資格
    情報処理技術者検定2種(通産省、当時)
    • 最初は熊本まで受験に行きました。ここで不合格になり、次の年からアセンプラ言語が8ビットから16ビットのものに変わり、一から勉強のし直しでした。
    • 3回目で合格したときの自己採点は91%。アセンブラ言語部分は満点だったと思います。コンピュータの動作するしくみがわかっておもしろかった。

  • 1979年
    • このころ、ポケットコンピュータでBASICをいじりはじめました。
  • 1982年
    • 転勤先に使われないで眠っていたCASIOのパーソナルコンピュータがあり、夢中になって使い始めます。PC本体130万円、プリンタ70万円だと。何とカタカナがプリントできるではないか! なんと50KB程の5インチフロッピーディスクもついていました!
  • 自分では8ビットのCASIOのPCを買いました。10進演算ができたからなのですが、速度が他のPCより遅くて淘汰されました。しかしBasicの変数にカナが使えてすごく便利でした。
  • 1992年ごろ DOS/Vマシンを使い始めます。こどものために160MB5インチ・フロッピーのソフトをたくさん買い、楽しく遊んでいました。このあと出てきた出たWindows 2.1など、まったく使い物にならず。画面を書き換えるのに30秒かかる始末でした。
  • Windows 3.1〜98のころVisual Basicでかなりの数のソフトウェアを開発。以後はVisual Basic for Applicationでの開発が中心となった。多くをVectorに登録しました。
  • 4校目時代、隣の高校が成績処理で困っている(前任者が転勤して)というので、F-Basicでつくってあったプログラムを改変しました。5インチフロッピーディスクのころでした。
  • 5校目に赴任したところ、専任者が作ったTrueBasicで作った成績処理プログラムの基本設定が変更できず(教科数を変えるなど)困っていました。バイナリデータを復元してデータを抜き取りました。1試験1フロッピーで不便だったので、最初の日本語Mindで開発しておいたものをExcelに載せ替え、新プログラムを開発しました。入試結果取り込み、成績処理、学級名簿作成、PTA名簿作成、連絡網作成、卒業証書台本、卒業証明書作成におよぶ膨大なソフトになりました。
  • わたしが作るものには、他人が見てわかるように、多量の注釈が埋め込んであります。定数や変数もすべて漢字表記です。これがVBAの良さです。
  • 自分が作ったプログラムもしばらく経つと、他人のプログラム同然です。それで日本語Mindにものめりこんでいったのですね。
  • 他校から頼まれてこのプログラムを譲ったこともありました。想像するにそこ(商業科のある学校)ではCOBOLで作成されたプログラムが動いていたようで、作った人がいなくなって改変できなくなったよう。
  • これを導入するにも「コンピュータを使わせよういうのか!」とそうとうな抵抗がありました。マウスを宙に浮かせて「動かない1」とか、マウスを机の端まで引いてきて「動かない!」という人たち(先生たち)が何人もいるころでした。
    わたしの転勤後も数年使われたようです。
  • 高校入試にあたって、その一問一問についての報告を県教委にしなければなりませんでした。試験会場ごとの得点一覧表をつくるのですが、どこかに記入ミスがあり、なかなか合計が合いません。そのミスを見つけるのに長時間かかっていました。特に5校目はこまかい規則がありました。いやでたまりません。赴任2年目だったか、みんなが昼食をとっているあいだに、NECのワープロ文豪mini5でこのこまかい点数を、720KB(2DD)フォーマットフロッピーにすべて打ち込みました。0110201 22001……のようにです。答案用紙は採点会場から持ち出すことができないのです。そのデータを職員室のテスクトップPCで読み取って(2DDディスクは読めた)、日本語Mindで作った自作のソフトでよみとって処理します。数分で処理完了。プリントアウトを主任で渡していたのですが、従来通り紙で集計を続けて、延々夜の8時すぎまでかかりました。比べてみると全くプリントアウトと同じでした。主任のことばが耳に残っています。「コンピュータが正しい…」。翌年からわたしの科は全面的にデータ入力に切り替わりました。全体は、処理が間違い、合否の判定会が遅れ、らさには県教委に報告が遅れることを危惧して、紙とPC併用になり、全面的に移行したのはその2年後でした。
  • その後、県教委が何千万円かかけたソフトを全校に配布しました。ところが初年度のソフトは、報告用のデータだけを作成するだけで、合否判定に使える仕掛けになっていませんでした。なんとまぬけな。そこでまた、出力データを解析して、成績を抜き取って会議資料に使えるようにしたのでした。翌年、県教委のソフトは改訂されました。
  • 2015年 動作しているマシンは
    Windows 7 Pro, Windows 7 Ultimate, Windows Vista Business, Ubuntu 14.04, Chromebook, Chromebox, Android 4.3, iPhone 4.
    • Android 4.2.2タブレットはChromebook購入以後ほとんど起動せず。起動すると大量のアップグレードがかかり、いやになる。
    • Chromebookは、メーカーASUS、11.3インチ横長ディスプレイ、メモリ2GB、ストーレッジ16GB、日本語キーボード。2万1080円で購入(消費税8%, 送料込み)、2015-05。
  • 2015年8月
    • 今年度譲渡したPCは Win7 Pro 1台、Win7 Ultimate(→Win10 Pro) 1台。
      現在使用中のPCは、Windows10 Pro, Windows10 Home, Windows 7 Pro, Ubuntu 14.04, Chromebook, Chromebox.

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